司法書士の歴史
法治国家のはじまり
今から約1世紀半前、鎖国が解かれ海外から新しい文化が日本に押し寄せました。新政府はこの洗礼を受け新たな法制度を確立しようとしていました。
1872年(明治5年) 代言人・代書人・証書人制度の誕生
太政官無号達で司法職務定制が定められる。これはわが国最初の裁判所構成法ともいうべきもので、全22章108条からなる法典。 この第10章「証書人・代書人・代言人職制」 の中に法制度を支える3つの基本的な職能が定められた。 特に代書人・代言人は裁判権の円滑な行使に不可欠な存在として位置付けられた。証書人は現在の公証人、代書人は現在の司法書士、代言人は現在の弁護士である。
明治の変遷
明治の近代国家建設のうねりの中で、証書人・代書人・代言人の制度がそれぞれ消長を迎えます。 代言人は明治23年、弁護士と名称が変更されました。一方、代書人は法の表面に浮かび上がることなく、深く広く庶民の中で法律実務家として活動を続けました。
1919年(大正8年) 法制度の確立
司法代書人法が制定され、司法代書人と一般代書人に分離された。
1927年(昭和2年) 日本司法代書人連合会創立
現在の日本司法書士会連合会の前身にあたる日本司法代書人連合会が発足した。 この連合会は任意参加団体であったが、各地方裁判所所属司法代書人会を基礎単位とし、発足時に加盟した司法代書人会は38会、未加盟会は14会であった。
1935年(昭和10年) 名称改正
司法書士法が制定され、「司法代書人」が「司法書士」となった。
1950年(昭和25年) 戦後司法制度下の新司法書士法
新憲法の下で新たな司法書士法が成立した。従来の、官の全面的な監督権が廃止された。
1956年(昭和31年) 司法書士会の強制設立、全員加入
司法書士法が一部改正され、司法書士会および連合会が強制設立となり、司法書士は司法書士会に入会しないと業務を行うことができなくなった。
1967年(昭和42年) 司法書士会の法人格取得
司法書士法が一部改正され、司法書士会および連合会に法人格が与えられた。
1978年(昭和53年) 国家試験制度が導入される
司法書士法が一部改正され、国家試験制度の導入など資格に関する制度の合理化、登録制度の新設がなされた。 また、司法書士制度の目的および司法書士の職責に関する規定を明確に定めた。 さらに所属会員に対する注意勧告や連合会の法務大臣に対する建議についての規定を設けるなど、司法書士制度を大きく発展させる改正であった。
1985年(昭和60年) 登録事務の移譲、公共嘱託登記受託組織の法人化
司法書士法が一部改正され、それまで法務局または地方法務局が行っていた司法書士の登録事務が連合会に移譲され、司法書士会の自主性が高められた。 また、官公署等が公共事業に関して行う不動産登記手続を受託するため、司法書士を社員とする社団法人公共嘱託登記司法書士協会が設立された。
司法制度改革の中で
21世紀になり、わが国は「規制社会から活力ある競争社会へ」と大きな変革を迎えます。自己責任型の競争社会では、紛争を迅速に解決するために司法制度の改革が要求されました。 この流れの中で、国民の身近な紛争の解決の担い手として、司法書士にスポットライトがあてられることとなりました。
2002(平成14)年 簡易裁判所における訴訟代理等を行う業務が付与される
司法書士法が大幅に改正された。 その改正内容は多岐にわたり、法務大臣が指定する法人が行う研修を修了し、法務大臣に認定を受けた司法書士は簡易裁判所における事物管轄を範囲内とする民事訴訟、 調停、即決和解等の代理、法律相談、裁判外和解の代理を行うことができる規定が新設された。 その他の主な改正としては、司法書士法人に関する規定、司法書士会における紛議調停に関する規定の新設、司法書士試験科目の憲法追加などである。
2019(令和1)年 司法書士の使命を明らかにする規定が新設される
司法書士法が一部改正された。第1条はそれまでの目的規定から使命規定となり、司法書士はその業務とする登記、供託、訴訟その他の「法律事務の専門家」として、「国民の権利を擁護し、もって自由かつ公正な社会の形成に寄与する」ことが使命として定められた。その他の改正としては、懲戒権者が法務局長から法務大臣へ変更され、処分についての除斥期間の新設・聴聞の保障、司法書士法人に関する規定などである。